ザ・ライフ・オブ・ワタシ

平凡の中の華やかを

「バーバラと心の巨人」

金曜日、大学の帰りに伏見ミリオン座で「バーバラと心の巨人」を観た。平日の3時半という時間帯と、公開から少し経過しているということもあり、客は私以外に4~5人しかいなかった。ミリオン座に行くと決まって飲むゆず茶をすすりながら、ボーっとコマーシャルや予告を眺める。

新鮮な気持ちで観て欲しいので特に内容には触れないが、とても優しい映画だった。人間の弱さと、それが段々と強さを身につけていく様子がとてもリアルに訴えてくる。物語が進むにつれて、「あれ?」と思っていたことが解き明かされていくのも、すごくうまくてやられてしまった。気づくとそのタイミングで号泣していた。観たあとは人のよさが20%くらいよくなるような温かみのある映画だ。バーバラにしろ、「シエラ・バージェスはルーザー」のシエラにしろ、賢いオタクは最高なのである。

帰りに劇場前のポスターの写真を撮るか迷ったが、あとでInstagramに載せて映画通ぶるイタい大学生だと思われるのが嫌でやめた。結局もらったフライヤーの写真を投稿しているので、どうしようもない奴である。

https://www.instagram.com/p/BpZIqtRlXTY94R-ougyhFQElseCf3fhR889Apc0/

ところで、このバーバラは他人には見えない「巨人(Giants)」を心の中に持っていたが、私にも似たような経験がある。

小さなころ、「さんかちゃん」という子と仲が良かった。保育園から家に帰ると、母親にその話を引っ切り無しにしていたそうだ。しかしながら、どれだけ私が真剣に話そうとも、さんかちゃんはこの世には実在していなかった。

また、さんかちゃんには性別もなかった。母親がいくら聞いても返事は曖昧なものだったという。性別の在り方に敏感な私であるが、もしかしたら既にこの時期にはその基盤が完成していたのかもしれない。考えすぎか。

今さらこのことが気になり調べてみると、この空想の友人は「イマジナリーフレンド」と言って、そこまで珍しいものではないようだ。読んで字のごとくなネーミングもなんだかおかしいが、このイマジナリーフレンド、幼児期に体験した人物の方が社交性が高いそうである。喜んではみるものの、自分がその例外であるのは確実なので少し悲しい。

もう二度と会うことのないさんかちゃん、自分で作りだしたのに、勝手に忘れてしまい、申し訳ない気持ちもある。この世なりあの世なり、どこかでまた会えたらいい。